東京地方裁判所 昭和30年(行)87号 判決 1958年5月29日
原告 横田隼雄
被告 国 外三名
国代理人 岡本元夫 外二名
主文
本件訴をいずれも却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「一、地方自治法第二百八十一条の二のうち、特別区の区長選任の方法に関する規定、すなわち『特別区の議会が都知事の同意を得てこれを選任する』とある部分は、日本国憲法の定めに適合しないことを確認する。二、昭和三十年四月二十二日任期満了後の文京特別区区長の選任権は原告等住民の手に存することを確認する。三、東京都知事安井誠一郎の同意のもとに昭和三十年八月十三日東京都文京区議会において行われた井形卓三の文京特別区長の選任及びこれに基く同人の同区長就任は無効であることを確認する。四、訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、
一、日本国民は日本国憲法(以下単に憲法という)前文の定めるところによつて主権を有し、同法第十五条の規定により公務員を選定し、およびこれを罷免する固有権を有し、同法第九十三条第二項の規定によりその属する地方公共団体の長、その議会の議員および法律の定めるその他の吏員の直接選挙を行う権利を有するものであり、右憲法の趣旨に則つて制定された昭和二十二年四月十七日法律第六七号地方自治法(同年五月三日施行)によつて特別区の住民はその長の直接選挙権を与えられていたが、昭和二十七年法律第三〇六号地方自治法中一部改正に関する法律により、同法第二百八十一条の二が制定され、「特別区の区長は特別区の議会の議員の選挙権を有する者で、年令満二十五年以上のものの中から、特別区の議会が都知事の同意を得てこれを選任する。」ものとされ、特別区長の直接公選制は廃止された。
二、しかしながら右改正法律の規定は、日本国の領土のうち特別区の自治団体だけに適用せられる特別法規であるから、この制定については憲法第九十五条の規定に従つて、特別区の住民投票において、その過半数の同意を得なければならないものであるのにもかかわらず、国会はその手続を経ないで制定した。従つて右改正法律の規定はその制定手続において憲法第九十五条第二項の定めに適合しないのである。
三、また、右改正法律の規定の内容は、前記憲法第十五条及び第九十三条第二項の規定によつて、国民と住民に保障せられた公務員選定の固有の権利を剥奪するものであつて、右憲法の規定に適合しないものであるから、前記地方自治法第二百八十一条の二の規定はいずれにしても法律としての効力を有しないものである。
四、しかるに被告東京都知事安井誠一郎及び被告文京区議会は、特別区長の選任権は改正自治法の規定により自己に属するものとして、被告文京区議会は昭和三十年八月十三日開かれた会議において、被告東京都知事安井誠一郎の同意に基いて被告井形卓三を東京都文京区長に選任する旨の決議を行い、被告井形卓三は右決議に基いて即日同区長に就任した。
五、被告等の準拠した前記改正自治法の規定が憲法の定めに適合しない無効のものであるかぎり、昭和三十年四月二十二日任期の満了した文京特別区の区長選任は、文京区選挙管理委員会において公職選挙法第二十条の規定により昭和二十九年十月三十一日調製され、同年十二月二十日確定された基本選挙人名簿に登録された原告外十四万六千七百十七名の男女有権者の公選によるべきものであつて、被告等が文京区長の選任について同意、選任をするなんらの権限を有しないこと明らかであつて、この権限に属しない事項についてなされた被告等の前記各行為は法律上なんらの効力がなく、被告井形卓三は文京区長の地位を有しないものといわなければならない。
六、原告は日本国民である文京区の住民として有する参政権の回復を求めるため、請求の趣旨記載の判決を求める。
と述べ、被告等の本案前の主張に対する見解として、別紙昭和三十一年八月十四日付準備書面のとおり陳述し、
被告等の各代理人は本案前の答弁として主文同旨の判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。
被告文京区議会及び被告文京区長訴訟代理人の主張
(一) 請求の趣旨第一、二項について。
司法権の本来の作用は法を適用実現する国家作用であつて、詳言すると具体的な事実について公権的に適用せられるべき具体的な法を確定し、これを宣言することである。
従つて具体的な法の適用についての争ではなくて、その推理判断の前提となる事実の有無や、一般的な法令の効力についての争いそのものは裁判所の本来の権限の対象とはならない。裁判所法第三条において「裁判所は法律上の争訟を裁判する権限を有する。」と規定しているのはこの趣旨を明らかにしたものである。憲法第八十一条の規定する裁判所の法令審査権もまた右の意味における司法権の範囲内において行使せらるべきものである。もつとも同条の解釈として裁判所は法令の合憲性や効力そのものを独立の問題として裁判する権限を有すると主張する意見も存するが、このような権限は前記司法権の本質と相容れないものであり、その旨を明確に規定していない憲法の右条項の解釈からしても無理であり、又右の説をとると法律等の効力を争う訴訟が頻発し、国権の最高機関である国会の立法権の侵害となることも考えられ、三権分立の民主政治の根本原理に背く結果となつてその誤りであること明らかである。
このように抽象的に法令が憲法に適合するかどうか或いは法令の効力の存否の確認を求める請求の趣旨第一、二項は不適法な訴である。
(二) 請求の趣旨第三項について。
裁判は各種の対立する紛争を公権的判断によつて解決するものであり、行政訴訟は刑罰権の行使以外の行政権の行使その他の公法上の権利関係についての紛争を解決するための訴訟であるから、この訴訟を提起できる者は請求の当否についての判決を求める正当にして具体的な利益又は必要のある場合に限られる。ところで原告は特別区長を選任する権利を奪われたと主張するけれども、地方自治法の改正によつて参政権に影響を受けるのは単に原告だけに限られないから、原告の具体的な権利又は法律上の地位を侵害されたことにはならない。又区長の選任について民衆訴訟を認めた法律の規定もないから、区長の選任及び就任の無効であることの確認を求める請求の趣旨第三項の訴は利益を欠く不適法なものである。
被告東京都知事指定代理人の主張
(一) 請求の趣旨第一項について。
本件請求が具体的法律関係の紛争に関するものでないことは明らかである。ところでわが裁判所は特に法律が裁判所の審査権を認めたものは例外として、特定の者の具体的な権利義務そのものの法律上の争訟についてのみ裁判権を有するのであつて、具体的な権利義務を離れて抽象的な法律命令の合憲性についてまで裁判権を有するものではないから、本件訴は不適法である。
(二) 同第二項について。
文京特別区長の選任権の有無は単に抽象的な問題であつて、原告について具体的な法律関係の紛争が発生しているわけではないから、原告の請求は請求に関する正当な利益がなく、訴の要件を欠いた不適法なものである。
(三) 同第三項について。
文京特別区長の選任及び就任によつて原告自身にとつて何らの具体的な権利侵害又は法律関係の紛争が発生しているわけではないので、原告の請求は請求に関する正当な利益を欠き不適法である。なお原告が文京区民として原告自身の具体的な権利の毀損を要件としないで本件の如き区長の選任及び就任の無効確認の訴が許容されるのは、いわゆる民衆訴訟として法令に特別の定めのある場合に限られるのであり、現行法上特別区長の選任及び就任に対し訴訟の提起を認める規定は存しないから、原告の請求は不適法である。
被告国指定代理人の主張
(一) 請求の趣旨第一、二項について。
裁判所は特定の者の具体的な権利義務に関する紛争についてのみ裁判権を有するのであつて、具体的な権利義務を離れて抽象的な法令の合憲性について、又は特定の者の権利義務そのものでない一般的な国民又は住民としての抽象的な権利義務に関する紛争についてまで裁判権を有するものではない。原告の本訴請求が特定の者の具体的権利義務の紛争に関するものでないことは原告の主張に徴し明らかなところであるから、本訴は不適法である。
(二) 請求の趣旨第三項について。
原告は文京区長の選任及び就任によつてなんら自己の具体的権利を侵害せられたものではなく、単に日本国民、文京区民として本件区長の選任及び就任の無効確認を求めていることは原告の主張から明らかである。このようないわゆる民衆訴訟は法令にこれを許容する特別の定めがないかぎり提起し得ないものであるが、現行法上特別区長の選任及び就任に対しこのような訴を許容した規定は存しないから、本件訴は不適法である。
つぎに本案について被告等の各代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因事実に対する答弁として、
被告文京区議会及び被告文京区長訴訟代理人は、請求原因一、四の記載の事実、及び同五の事実中、前文京区長の任期が昭和三十年四月二十二日満了したこと、同六の事実中原告が日本国民である文京区の住民であることは認めるがその他は争う。と述べ、主張として、
(一) 地方自治法第二百八十一条の二の規定は憲法第九十五条にいわゆる「一つの地方公共団体のみに適用される特別法」に該当しない。
憲法第九十五条に規定するいわゆる特別法とは、一般の地方公共団体に適用される法律を前提とし、これと異る規定の地方公共団体について制定する場合の法律を意味しており、地方公共団体に種別が設けられている場合の同一種類に属する団体全部について適用される法律は右「一つの地方公共団体のみに適用される特別法」には該当しないこと明らかである。従つて東京都の特別区全部に適用せられる地方自治法の右改正規定は、特別区の住民投票の手続を経ないで制定されたとしても改正手続に違法はない。
(二) 地方自治法第二百八十一条の二の規定が憲法に適合しないものではない。
(1) 憲法第十五条には違反しない。
憲法第十五条は現実の具体的な公務員の任免を直接に国民が行うことまでも規定したものではなく、公務員の任免については主権者たる国民がその始源的な権利を有するという抽象的な基本権を規定したものである。従つて同条を根拠として地方自治法の右規定が違憲であるとすることができない。
(2) また憲法第九十三条第二項にも違反しない。
憲法上の地方公共団体とは一般に現在の社会生活において共同体意識を基礎として社会的なまとまりのある地縁団体であつて、国家主権に従属し、その立法政策によつて創成されるものというべきものである。しかして地方自治法上の地方公共団体は必ずしも右憲法上のそれと範囲を同じくするものではない。殊に特別区は都制度の便宜のために地方自治法上認められた大都市制度の一種であつて、その法制面を総合的に考察した場合にも、またその実体面を客観的に究明した場合においても、憲法上の地方公共団体である性質を有するものとは解されない。すなわち、沿革的には東京市の自治区であつた当時でさえ、東京市の自治体としての性質は認められながら、実体は市の行政区に近く、僅かに財産区又は学区の性質を併せ持つに過ぎなかつたのである。まして現在の特別区は完全な自治区としての権限を有しないのであるから都の行政区である性質が一層顕著である。また地方税法においては特別区には地方公共団体が本来有すべき課税権を認めておらず、道路法、水道条例、都市計画法、伝染病予防法等においても、特別区には市に関する規定を適用されないことになつており、これらの事実からも明らかなように地方自治法以外においても特別区は憲法上の地方公共団体の範疇に入る市町村とは異つた特別の取扱いをうけているのである。更に特別区の住民自体がその属する特別区に対する共同意識を有していない事実も他の地方公共団体とその性質を異にしていることは明らかである。以上の諸点からかんがえると、特別区は憲法第九十三条第二項の地方公共団体には該当しないものというべきであるから、地方自治法第二百八十一条の二は憲法の右規定にも違反しない。
と述べた。
被告東京都知事指定代理人及び被告国指定代理人は、請求原因一、四記載の事実、同五記載の事実中、前文京区長の任期が昭和三十年四月二十二日に満了したこと、文京特別区選挙管理委員会が昭和二十九年九月十五日(十月三十一日とあるのは誤りである)を基準日とする基本選挙人名簿を調整し、原告外十四万六千七百十七名の男女をこれに登録し、該名簿が同年十二月二十日確定したこと、同六記載の事実中原告が日本国民である文京区の住民であることは認めるがその他の事実及び見解は争う。
と述べた。
<立証 省略>
理由
まず本訴の適否について考えてみる。
一、請求の趣旨第一、二項について。
元来司法とは具体的な争訟を解決するため法を適用する国家作用を意味したものであり、憲法第七十六条の規定によつて裁判所に与えられた司法権も右の意味での司法を行う権限と解すべきであつて、裁判所がその権限を行使するためには具体的な法律上の争訟事件が存在している場合に限られるものである。裁判所法第三条は裁判所は、「一切の法律上の争訟を裁判し」と規定し、右憲法で定められた裁判所の権限を明らかにしたものである。従つて裁判所は、具体的争訟がないのにある法規が憲法に適合するかどうか、有効であるかどうか或いはその解釈はどうであるかという問題について抽象的に判断する権限を有するものではない。憲法第八十一条に規定するいわゆる違憲立法審査権も具体的な法律上の争訟について判断するため必要な範囲内で行使せられるべきものである(最高裁判所昭和二七年(マ)第二三号、同年一〇月八日大法廷判決、同裁判所同年(マ)第一四八号、同二八年四月一五日大法廷判決参照)。この見解と反対の原告の見解は採用することができない。
そして、地方自治法第二百八十一条の二のうち、特別区長の選任方法に関する規定が憲法の定めに違反して無効であることの確認を求める請求の趣旨第一項の訴及び文京区長の選任権が原告等文京区の住民に存することの確認を求める請求の趣旨第二項の訴は結局抽象的に法規の無効確認を求め、かつ抽象的に法律より生ずべき特別区長の選任権の存在の確認を求めるものであるから、このような事項については裁判所は裁判権を有しないこと前記のとおりであつて、不適法な訴といわなければならない。
二、同第三項の訴について。
行政訴訟においても特別に法律によつて許容している場合(民衆訴訟)をのぞき、民事訴訟における同様訴の利益がなければ適法な訴とすることはできない。
ところで原告は被告文京区長の区長就任によつて区民として有すべき参政権を剥奪されたものであるから、その回復を求める必要上本訴の利益があると主張するけれども、原告の主張によれば、区長を選任する権利は文京区の選挙権者全員とともに有する権利というのであるから、原告の具体的権利義務に直接関係のあることがらではなく、右の事実をもつて本訴を維持する利益があるということはできない(最高裁判所昭和三〇年(オ)第六六五号同三一年二月一七日第二小法廷判決参照。)けだし国民は一般的公共的な事項に関してはなんらかの意味において影響を受けることは当然なことであるから、単に影響があるという程度で具体的な権利義務に関係がなくとも出訴しうると解することは、前記の司法の本質的性格に反し許されないのみならず、訴訟の頻発を来たすおそれのあることを考えても右解釈の妥当でないことが是認されよう。
このように被告文京区長の就任によつて原告は直接その権利義務には影響を受けないから、本訴は利益を欠いた不適法なものといわなければならない。もつとも原告は国民の基本的権利の一つである参政権が侵害され、その回復を求める本件のような訴は、個人の権利義務に関係なく許さるべきであると主張するけれども、公共的行政監督的地位から、権利義務に対する影響を問うことなく、行政法規の適用に対し是正するため認められたいわゆる民衆訴訟は、本来的な司法の分野には属しないで、法律が裁判所に認めた権限により裁判するものであつて、法律上の争訟には属しないものであるから、法律にそれを認めた特別の規定のある場合に限つて提起が許されるものであるが、特別区長の選任についてはこのような訴を認めた規定は現行法上存在しないから、原告の右の見解も採用できない。
このような訳で原告の本訴請求はいずれも不適法であるから、その他の点について判断するまでもなく却下すべきであり、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石田哲一 地京武人 井関浩)
(別紙) 準備書面
原告 横田隼雄
被告 文京区議会 外三名
右当事者間の御庁昭和三〇年(行)第八七号法令審査および文京特別区長選任無効確認事件について、原告は左の通り本訴の性格を明かにする。
一、本訴における請求の趣旨第一項は、原告から被告等に対する請求の原因第三項乃至第七項の原因に基いて、昭和三〇年四月二十二日日に任期が満了した文京特別区の後任区長の選任という特定時における特定の事項について、請求の趣旨第二項、第三項の裁判を求める前提として、被告等の準拠した地方自治法第二八一条の二の規定のうちで、特別区の区長選任の方法に関する規定、即ち「特別区の議会が都知事の同意を得てこれを選任する」とある部分が、憲法第九五条および第九三条第二項の定めに適合するかしないかを決定する権限の発動を求めたものである。
この点については、わが最高裁判所および下級裁判所は、最高裁判所が同庁昭和二七年(マ)第二三号日本国憲法に違反する行政処分取消請求事件について、昭和二七年一〇月八日大法廷において『しかし乍ら我裁判所が現行の制度上与えられているのは司法権を行う権限であり、そして司法権が発動するためには具体的な争訟事件が提起されることを必要とする。我裁判所は具体的な争訟事件が提起されないのに将来を予想して憲法及其他の法律、命令等の解釈に対し存在する疑義論争に関し抽象的な判断を下すごとき権限を行い得るものではない。蓋し最高裁判所は法律、命令等に関し違憲審査権を有するが、此の権限は司法権の範囲内に於て行使されるものであり、この点に於ては最高裁判所と下級裁判所との間に異る所はないのである(憲法第七六条一項参照)……』と判旨し、又昭和二七年(マ)第一四八号衆議院解散無効確認請求事件について、昭和二八年四月一五日大法廷において『しかしながら、わが現行法制の下にあつては、ただ純然たる司法裁判所だけが設置せられているのであつて、いわゆる違憲審査権なるものも下級審たる上級審たるとを問はず、司法裁判所が当事者間に存する具体的な法律上の争訟について審判をなすため必要な範囲において行政せられるに過ぎない。すなわち憲法第八一条は単に違憲審査を固有の権限とする始審にして始審である憲法裁判所たる性格を併有すべきことを規定したものと解すべきではない。この見解の維持せらるべき所以は、さきに当裁判所が昭和二七年(マ)第二三号事件の判決において示したとおりであり、これと反対の見地に出た原告の所論には賛同することを得ない』と判旨して以来、最高裁判所および下級裁判所は裁判所の権限は所謂司法権即ち、具体的な法律上の争訟について、繋争事実関係を確定し、これに適用する法規を選定し、確定された繋争事実に対し選定された法規を適用して、その権利関係を確定することにより具体的争訟を解決する国家作用の行使に限定されて居るものであるかの如き前提を立てこれを自明且つ当然のごとくであるかの如く断定せられて居る。
しかし乍ら憲法第七六条は所謂司法権(前記のような所謂裁判権)の行使は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置された下級裁判所の権限に属すべきことを規定して居るが、裁判所の権限が専ら所謂司法権の行使にのみ限定される旨は規定して居ないばかりでなく、同法第七七条(規則制定権……補助立法権)および第八〇条(下級裁判所裁判官の指名権……司法行政権)の権限が付加されている外、憲法第八一条においては何等の条件を付せず、広く「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する」と明定して、独り最高裁判所においては司法権の範囲を出て「一切の法律、命令、規則又は処分」そのものが憲法に適合するかしないかを決定する権限のあることを明かにしている。そこに「司法権の範囲において」違憲審査を行い得るというが如き何等の制限規定も法理も存しないのである。
もし、憲法第八一条の定めによる最高裁判所の「法令等の合憲性審査権」を、司法権の範囲においてのみ認められたものとするなれば、同条の規定はその大半が空文となり、最高裁判所の性格も、明治憲法の下に設置せられていた大審院と何等異るところがないことになる。何となれば、下記学説を見ればすぐにも解るように、憲法第七六条の定めによる司法権の中には、明治憲法第五七条の解釈以来当然に最高裁判所の認める範囲の法令審査権が包含されているものと観念されていて、憲法第八一条の法令等の合憲性審査権はこの司法権の範囲を出たものであるところに、その存在の意義があり、司法権の範囲内のものとすれば、この規定は何等存在の意義がないことになる。
山崎覚次郎著 憲法学 六七七頁以下「裁判所の法令審査権」
市村光恵著 改訂帝国憲法論 六八八頁以下「裁判所の法令審査権」
清水澄著 国法学第一論憲法論 一一一六頁以下「裁判官の法令審査権」
杉本重敏著 憲法真義 八二二頁以下「法令審査」
美濃部達吉著 日本憲法第一巻 五一八頁以下「成文憲法の維持」
金森徳次郎著 帝国憲法要綱 二四四頁以下「裁判所ノ法令審査権」
野村信孝著 改訂憲法大綱 三三二頁以下「法令審査権」
佐藤丑次郎著 帝国憲法講義 二二五頁以下「司法裁判所職権」
稲田周之助著 日本憲法 二一八頁以下「司法裁判所の法令審査権」
若し又憲法第八一条による最高裁判所の法令審査権の本質を上掲最高裁判所昭和二七年(マ)第二三号、同(マ)第一四八号事件の判旨の如く解するに於ては、憲法に適合しない法律、命令、規則又は処分もその制定の権限を有するもの乃至はそういう処分をなす権限を有する者が、自発的に之を改廃しない限り現実の問題として何時迄もその効力を保有することになり、憲法が国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関する其他の行為の全部又は一部はその効力を有しない旨を厳に規定して居る憲法第九八条第一項は全然意味のない空文と化し去らざるを得ないこととなる。
しかし、斯様なことは到底あり得ないことで、裁判所はこの前提事項について法規そのものの有効、無効の判断を行うべきは当然であると云はなければならないものと信ずる。(佐々木惣一著憲法学論文選第一巻一四一丁以下参照)
二、本訴における請求の趣旨第二項は、昭和三〇年四月二二日に任期が満了した文京区の後任区長の選任という特定時における特定事項について、原告はその選任権は憲法第九三条第二項の定によつて原告を含めた文京区の住民の手に存することを主張し、被告東京都知事安井誠一郎及び被告文京区議会は、地方自治法第二八一条の二の定によつて、その選任権は被告等の手に存するものと主張して、現に法律上の争訟が存した場合、被告等が原告の右主張を無視して昭和三〇年八日十三日の文京区議会において、被告安井東京都知事の同意の下に被告井形卓三を同区々長に選任して茲に右被告等の手によつて原告の文京区長選任という現実の憲法上の参政が剥奪されたという、右当事者間の右具体的権利関係の争訟について、右後任区長の選任権が原告等の手に存在する旨の憲法上の権利関係の確認を求めるものである。
そもそも憲法第一五条によつて保障された同法第四三条、同法第九三条第二項の公務員の選定に関する国民の参政権は、基本的人権であつて憲法の改正を以つてするの外、法律を以てしては奪うことのできない重大なる権利である。
さればこの国民の基本的人権が何物かの手によつて侵奪された場合によつては、国民は直ちに憲法第三二条の定により、司法権による救済を求め権利の回復を計り得ることは、蓋し理の当然である。
即ち参政権とは、国民又は住民が個人として統治行為の成立に参加する個人的地位である。これを憲法第十五条の公務員の選定に関する参政権、即ち公務員の選挙に局限して云うならば、選挙権とは国民が選挙人団の一員として当該選挙に参加し、投票を為し得る個人的地位であつて、投票の結果が保障されるものでない。
従つて個々の国民がこの地位を奪はれた場合においては、他人の権利にかかわりなく、個人として独立して、これが回復のため直ちに、司法権による救済を求め得ることは参政権乃至選挙権の本質上当然であつて、これが侵犯により個々の国民又は住民に直接に権利義務の法律関係を生じたりや否や等は措いて問はれないのである。
この法理は選挙人たる個人に、選挙人名簿の調製について自己に関する脱落、誤記の改正について公職選挙法第二四条、第二九条の訴が許されていること(抽象的選挙権が保障されていること)、現に行はれた選挙において、その管理(執行の規定に違反するところがあり、これがため選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合(たとへば一部の選挙人に投票が許されなかつた場合又は一部の選挙が自由と公正に行はれなかつた場合等)選挙人個人に選挙訴訟の提起が許されていること(公職選挙法第二〇三条、二〇四条)および現に正当な手続において行はれた選挙において選挙会の当選人の決定に違法があり、これがため選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に選挙人個人に当選訴訟の提起が許されていること(公職選挙法第二〇七条)等により基本的人権である参政権、即ち個人の選挙権は、広く司法権の保護を受け得る権利であつて、しかも、この権利は、投票に参加出来なかつたという一事で、直ちに司法権による救済が求めらるべきものであることが明かにされているのである。
言はんや本件の如く憲法第九三条第二項の定によつて、昭和三〇年二月二二日以降は原告を含めた文京特別区の住民の手によつて当然行うべき区長の選挙を全然行はずして、何等権限なき文京区議会において、昭和三〇年八月十三日現任区長の選任を行つた場合において、法律上当然に選挙権を有する原告その他文京特別区の住民がこの個人的地位を確保するため司法権による救済を求め得るは当然であつて、この場合これが侵奪を受けたがため個々の住民に直接の権利義務の関係が発生したか、しないかは措いて問はれない筋合であると云はなければならない。従つて文京特別区の住民は何人も行政事件特例法第二条後段の定むるところに則り直に司法権による救済の発動を求め得ることは理の当然であると信ずるものである。
以下参政権と選挙権の本質に関する文献を掲げて参考に供する。
一、参政権の本質に関するもの
1 稲田生次著 憲法提要 一四九頁政治的権利
2 宮沢俊義著 日本国憲法コンメンタール 一九三頁
3 佐々木惣一著 日本国家憲法論 四四九、四五四頁
4 清宮四郎著 憲法要論 一一〇頁以降
5 水木惣太郎著 憲法講義(上巻) 三五四頁以降
6 三上真幾雄著 基本的人権概論 四六頁以降
7 田上穰治著 新憲法概論 一一〇頁以降
二、選挙権の本質に関するもの
1 美濃部達吉著 憲法撮要 一一〇頁以降
2 宮沢俊義著 日本国憲法コンメンタール 二二三頁
3 美濃部達吉著 宮沢俊義補訂 日本国憲法原論 二五六頁以降
4 清宮四郎著 憲法要論 一一八頁以降
5 渡辺宗四太郎著 日本国憲法要論 一七二頁以降
6 大島笙、 石井春水共著 最新改正公職選挙法解説 一六頁以降
7 美濃部達吉著 選挙法詳説(有斐閣発行)
8 伊藤勲著 選挙制度-その基礎理論と世界各国の制度の比較 五頁
9 水木惣太郎著 憲法講義(上巻) 三五五頁
10 宮沢俊義著 憲法 一三八頁以降
11 法学協会編 註解日本国憲法下巻(1) 七四六頁以降
12 佐藤功著 憲法(ポケツト註釈全書)4 二七八頁
13 黒木盈述 日本弁護士連合会発行「自由と正義」 第七巻第一号二五頁
三、本訴における請求の趣旨第三項は原告が文京区の住民であつて、昭和三〇年四月二二日任期が満了した目黒区長の後任者の選挙権を有する地位に基いて該区長の選任について何等の権限を有しない被告文京区議会が、昭和三〇年八月十三日、被告安井東京都知事の同意を得て行つた、被告井形卓三の選任の行政行為並に被告井形卓三の就任行為について行政事件特例法第二条後段の定に基いて、その行為の無効確認を求めるものである。
この点については、わが最高裁判所第二小法廷は、上告人三町恒久、被上告人世田谷区議会外三名間の同庁昭和三〇年(オ)第六六五号法令審査、世田谷特別区長選任無効確認等請求事件について、昭和三一年二月一七日、上告人上告理由二の論旨について、「上告人は、被上告人長島壮行の世田谷区長選任の無効、同人が同区長でないことの確認を求めているのであつて、原判決のいうように抽象的に法令の無効のみを主張しているのではないというのである。しかし世田谷区長に長島壮行が選任されたことによつて上告人の具体的権利義務に影響のある場合にその権利義務について争うは格別、単なる右選任の当否は上告人個人の具体的権利義務には直接関係のないことであつて、かかる点について司法裁判所が裁判権を有しないことは、前記大法廷判決の趣旨にてらして明かである。論旨は理由がない。」と判示し、上告代理人の上告理由第三点、第四点の論旨について「上告人は世田谷区民であり、憲法一五条及び九三条二項によつて[区長を直接選挙する権利を有するにかかわらず、昭和二七年法律第三〇六号による地方自治法の改正のため右区長の選挙権を剥奪されたのであつて、上告人は本訴を提起し長島壮行の選任無効確認の判決を求め、よつて区長の選挙権を回復し憲法上の権利を行使しようとするものであり、単に法令について抽象的に憲法適否の判断を求めるものではないと云うのである。しかしながら、上告人の本訴提起の動機が所論のとおりであつても上告人の本訴請求が、地方自治法中の規定の無効確認を求め、世田谷区議会に世田谷区長を選任する権限のないことの確認を求め、さらに長島壮行の世田谷区長選任及び就任の無効確認を求めるのであることにはかわりはなく、このような請求が上告人の具体的権利に直接関係がないことは前段説明のとおりである。(またかりに、上告人の請求を認容した判決がなされたとしても、その判決の結果として直ちに上告人が区長選挙権を行使できるものでないことは説明をするまでもないことである)論旨は到底採用することができない」と判旨したのであるが、右判示はいづれも前項で述べた参政権並に選挙権の本質と、これが司法権に依る救済の法理に理解を欠くことに基因する誤判であつて、到底首肯することができない。
殊に(たとえかりに、上告人の請求を認容した判決が為されたとしても、その判決の結果として直ちに上告人が区長選任権を行使できるものでないことは説明をするまでもないことである)という点は、行政事件特例法第一二条の存在を見逃したもので、到底首肯することを得ない。即ち本項に対する裁判は同条の定めにより「その事件について関係行政庁を拘束する」結果、無効の判決が確定すれば当然当該行政庁は適法法規に基き、適法な区長の選任を行うべきは当然であつて、住民は反射効果として選挙権を回復し、これが行政の途を獲得することは言うまでもない事理であると信ずるものである。
右の通り陳述する。
昭和三一年八月十四日 右原告代理人 佐々木正泰
東京地方裁判所民事第三部御中 山口進太郎